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日本経営倫理学会

役員コラム「経営倫理の窓から」

「三方よし」のルーツは(理事 荻野博司)

 三方よし、つまり「買い手よし、売り手よし、世間よし」を口にする経営者によくお会いする。周囲のすべてを幸せにするのが商売繁盛の極意であるのは当たり前といえば当たり前のことだが、近江商人の商業理念を簡潔に表したというフレーズは、近年になって企業の社会的な責任(CSR)やサステナブル経営の源流として国内外で紹介されている。
 はるか昔の日本に、海外でも十分通用する経営倫理の萌芽があったというのは、現代人の心をくすぐる。コーポレート・ガバナンスやコンプライアンス、アカウンタビリティ、サステナビリティ・・・欧米からの「借り物」が大手を振る風潮に得心がいかない向きには、とくに歓迎されているようだ。
 では、誰が言い出し、どうやって広まったのか。そんな素朴な疑問から謎解きに挑戦したことがある。東近江市五個荘にある近江商人博物館を足がかりに、周辺の商家の旧宅を回った。江戸時代以前から全国を行商してきた人々の間で代々受け継がれた自戒の言葉と考えていたが、どうも違ったようだ。
 この用語そのものが広く知られるようになったのは、1980年代末からの30年余りに過ぎない。発掘して紹介したのは滋賀大学教授だった小倉栄一郎氏とされる。88年に出版した著書のなかで以下のように述べている。
 「有無相通じる職分観、利は余沢という理念は近江商人の間で広く通用しているが、ややむずかしい。もっと平易で『三方よし』というのがある。・・・時代は下るが湖東商人の間で多く聞く」(『近江商人の経営』)。
 これ以前の文献類に「三方よし」は見当たらないことから、埋もれていた言葉を掘り起こしたのは間違いないようだ。
 もう一人、詩人辻井喬としても知られた経営者堤清二氏も普及に一役買った。セゾングループ代表だった91年に滋賀県で開かれた世界AKINDOフォーラムにパネリストで登壇。そこで耳にした「三方よし」に感銘を受け、新聞のインタビューの際に紹介したことで一気に全国区の知名度になったとされる。
 では、言い出しっぺは誰かという謎は残る。一部の研究者は昭和初期にさかのぼるとの仮説を立てている。
 麗澤大学を創設し、「道徳科学(モラロジー)」を提唱した廣池千九郎氏が昭和の初期に「自分よし、相手よし、第三者よし」との考え方を示し、それが信奉者の間で伝えられてきた。そうした人々に小倉氏が出会い、近江商人の理念とつなぎあわせて紹介したというシナリオだ。
 その通りなら、ルーツは100年ほど前ということになる。両者の接点は確認されていないが、今も研究は続いている。
 2023年7月16日
 (多摩大学客員教授)

役員コラム「経営倫理の窓から」