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日本経営倫理学会

役員コラム「経営倫理の窓から」

経営倫理を大学で教え学ぶ意義がどこにあるのか?(理事 髙田一樹)

 いまをさかのぼること四半世紀、中央教育審議会は1999年に「初等中等教育と高等教育との接続の改善について」という答申を公表した。文部科学省が小学校から大学まで一貫したキャリア教育を推進するきっかけとなった答申である。2004年には国立大学が国から独立して法人化され、大学の自治を尊重しつつも、文部科学省が研究の予算配分と高等教育の行政施策を主導する下地が整えられた。それから20年あまりのうちに全国の大学は、小、中、高に連なる教育機関つまり「学校」として社会に認知されるようになった。従来から大学は学術研究者の養成機関として機能してきた。だがここでいう「学校」とは、社会の期待に応じて産業界を主とする民間セクターに有為な人材を輩出する教育機関を指す。
 筆者がかつて通っていたころ、大学は趣味や旅、好きな勉強だけに打ち込むことのできる「モラトリアム学生」を許容する空気に満ちていた。学術研究に没頭するあまり象牙の塔やタコつぼに閉じこもり、世間知らずの「歩く事典」と揶揄されてきたのが大学の典型的なセンセー像だったように思われる。
 だが今日そうした大学の状況は様変わりした。小中高と同様に、学生は授業に毎回出席することを前提とし、受講者アンケートを定期的に聴取し、学生ひとりひとりの成績や個別事情をプロファイリング化することで学習活動の全体傾向を計量的に把握する管理教育が進行しつつある。それは大学が卒業までに習得した学生の能力を証明するためである。いわゆる「面倒見のよさ」を客観化し、学校で培った資質や能力を統計的に評価する教育機能に近年国公私立を問わず多くの大学が、自らの社会的な使命や責任を自負する。こうした教育行政の着想を業界用語ではエンロールマネジメントといい、2020年に中央教育審議会大学分科会が「教学マネジメント指針」として公表した。
 では大学で経営倫理を教え学ぶ意義はどこにあるのだろうか。かつての講義はノートを読み上げたり黒板にキーワードを転写したりする一方的な教授法が定番だった。しかし近年ではアクティブラーニングと呼ばれる双方向的な授業が尊ばれる。そのねらいとして学生の能動性を引き出し主体性を鍛える意義が謳われてきた。
 経営倫理の教育はどのような意味で能動性や主体性を高めうるのか。筆者は経営倫理を学んだ学生が卒業後すぐに職場の不正を告発する「正義の人」や、企業に善行を促す旗振り役になるようには思われない。知識を理解することと行動に起こすことはそれぞれ別の行為である。また、職場の利害や業界慣行を学校教育で学ぶことには限度がある。大学は「職場」ではない。「現場」の利害から距離をおいて教え学べる場であることに学校の存在意義がある。
 大学で経営倫理を教え学ぶ積極的な意義は、企業経営をめぐる不正や善行を学生が観想(テオレイン)する経験にあると筆者は考える。能動的な態度の形成と善行への動機づけには観想する経験がその第一歩になるためである。
 大学で深く学びうる倫理とは学問的な知性(エピステーメー)を洗練させた知恵(ソフィア)である。学会は学知を探求する研究の場として機能してきた。職場の利害から一線を画した場で経営の善し悪しを考え、自ら立てた疑問に独力で向き合い答える「自調自考」の機会は多忙な職場で作ることは難しいだろう。そうであるからビジネススクールのように職場のノルマと組織風土から距離をおき、自身の職場で培ったテーマを念頭に人類の叡智を教え学ぶ場が社内研修とは一味違う意味を持つ。
 他方、学問的な知性を修め、それを昇華させた知恵を実践へと変換するには職場の利害関係を踏まえた現場での訓練を要する。経営倫理実践研究センターによる各種の啓発や研修、また日本経営倫理士協会による実務専門家の育成は、職場での実践知(フロネーシス)の習得を目指しているように筆者には思われる。職場で善悪の判断を下し行動に起こす経営倫理を「訓練」する場は職場に近いところがふさわしい。それは学校のカリキュラムやシラバスに従って一般性と普遍性を追究する知識として学びえないためである。経営倫理の思考を働かせる出来事の多くは突発的で偶有的なことがらに属する。
 経営の倫理を観想し、職場で技術(テクネー)を身に着ける経験を経てはじめて実践知という知徳を修得できるのではないか。この意味において学知を修得し、自調自考の経験を経た知恵を実践知へと移行するための基礎になると筆者は考える。現場主義を強調する研修は短期的な実利に役立つかもしれない。しかし現場主義を徹底して教え込む職域研修は、職場の価値観を鵜呑みにする視野の狭い自己に無自覚なまま、しばしば職域の利害に神経を集中させるあまり、倫理的な感性から人々を遠ざけるプロパガンダになりかねない。社会人が大学に「学びなおしの場」を期待するのは、職場の研修やOJTでは習得しがたい「観想する経験」が善悪判断を実践へと促す知徳の習得に不可欠であるためだと筆者は考える。
 本学会の創立30周年記念として刊行した書籍で、こうした思索を手短に述べる好機に恵まれた。このコラムシリーズを執筆する当学会の理事も名を連ねる。お手に取っていただけるのであれば幸いである。

・中央教育審議会(1999)「初等中等教育と高等教育との接続の改善について (答申)」、文部科学省「審議会情報」 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/991201.htm (2024年1月2日アクセス) 
・中央教育審議会大学分科会(2020)「教学マネジメント指針」、文部科学省「審議会情報」 https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1411360_00001.html (2024年1月2日アクセス)
・髙田一樹(2022)「第5章 経営倫理と倫理教育――学知,技術,実践知の習得法」,日本経営倫理学会編『現代経営倫理学入門――サステナビリティ経営を目指して』文眞堂, pp.50-59.(分担執筆)

 (南山大学経営学部)
 2024年1月4日

役員コラム「経営倫理の窓から」