十全な企業防災に取組み、企業が自然災害から従業員の安全を守ることや地域の二次災害の原因とならないようにすることは、企業の社会的責任の一部と言えます。この義務を果たすためにも企業は、自然災害について多角的に情報を集めることが求められます。現代社会において自然災害に関する情報として、私たちが最も注目するものはやはり科学や工学の知見を基につくられた自然災害に関する情報ではないでしょうか。地震のリスクに関する長期評価、風水害のリスクを知らせる気象警報など、これらの科学や工学の知見を基にした情報は自然災害のリスクを考えるにあたり有用な情報であることは間違いありません。しかし、自然災害に関する情報はこれら以外にも様々にあります。
その一つとして、過去の災害経験からの学びや戒めを後世に伝承するためにつくられた石碑などの自然災害伝承碑があります。災害大国と呼ばれる日本においては、その数は全国で622基以上あるといわれています。先述した、科学的に分析された自然災害に関する情報の多くは、実は災害に対する科学的な分析が可能になった近代以降の災害を対象としたものが大半ですが、それ以前から存在するこれらの石碑に刻まれた様々なメッセージは、現代の防災の在り方についても多くの知見を提供します。
例えば、鹿児島市立東桜島小学校の敷地内にある「桜島爆発記念碑」のメッセージは、現代の防災の在り方について、興味深い点を示しています。この記念碑は、1914年(大正3年)1月12日の桜島における噴火災害について建てられた石碑(災害記念碑)の一つになります。「桜島爆発記念碑」には、この噴火災害に関して発生した出来事が詳細に記載されているのですが、その文末には後世への戒めへとして「理論に信頼せず」、(つまりは、科学的理論を信頼してはならない)「住民は桜島の異変を知ったら避難せよ」という一文が入っています。防災に関して、科学的リスク評価をベースとしている現代の防災リスクマネジメントの観点から見た場合、この戒めの内容は驚きですが、それが記載された背景には合理的な理由があります。
実は、1914年の噴火が始まる前には、海温上昇や火山ガスの噴出などさまざまな前兆現象が発生しました。桜島には、それ以前の噴火(例えば、安永噴火)の経験を基に、噴火の前兆現象と危険を伝える様々な伝承が残っていたことから、これらの前兆現象を見た住民の一部は伝承を重んじて自主避難を噴火以前に開始していました。しかし、当時の鹿児島測候所は(当時の科学的観測に基づいて)桜島が噴火することを否定したため、鹿児島測候所の見解(つまりは当時の科学的)を信じた人々は、それらの前兆現象を知りながらも避難行動をしませんでした。しかし、結局大噴火が発生し、測候所の見解を信じた人々は避難が遅れ、結果として多くの被害者が出ることとなっていまいました。特にこの見解を信じて行動した人が多かった村では、多くの犠牲者が発生したといわれています。そして、二度と同じような惨禍を繰り返さないように、この「(測候所の見解)理論に信頼せず」と記された碑文が、噴火から10周年を迎えた際に作られました。
科学技術が進歩し、災害の予測精度が上がった現代において、この碑文の「理論を信頼せず」という主張を、文字通り教訓としてしまうことは、少し問題があるかもしれません。しかし、「科学技術とは常に不完全(つまり限定合理性を含む"知")であり、想定外があるから、自分で考え、行動しなさい」というメッセージで捉えた場合、この石碑の碑文が示す内容は、現代の地域防災や企業防災、更には私たち個々人の防災意識に対して、非常に深い含蓄を与えるものだと思います。皆様も、身近にある自然災害伝承碑を訪ねてみてはいかがでしょうか?
(九州大学経済学研究院 准教授)
2023年6月13日