会員マイページ

日本経営倫理学会

役員コラム「経営倫理の窓から」

経営倫理学に倫理学の理論は必要か(理事 杉本俊介)

 倫理学の理論とは功利主義、義務論、徳倫理学などのことです。経営倫理学に倫理学の理論は必要なのでしょうか。私は必要だと思います。
 倫理学とは私たちの「倫理」を敢えて学問の対象とし、その「倫理」が正当なものかを批判・吟味する共同作業を指します。倫理学はなぜそれが正しいのかと根拠を問い、「それが正しければこれも正しくないとおかしい」と首尾一貫性に訴えて一般化された原理の発見を目指したり、私たちの「倫理」を敢えて体系化しているのです。
 こうして作られた理論の一つである功利主義は次の原理を掲げます。私たちの行為が正しいのはその帰結として幸福の総和が最大化されるときである。不正であるのは最大化されないときである。
 功利主義の理論は判断基準を提供します。功利主義は私たちの「倫理」を体系化して作られたものなので、私たちの判断とほぼ同じ判断を下します。たとえば株主以外のステークホルダーに配慮することは正しい。ハラスメントは不正だ。私たちが判断に迷うケースでもこの基準に基づき判断を下すことができます。
 理論はまた、なぜそれが正しいのか根拠も説明します。功利主義によれば、その行為が正しいのは幸福の総和が最大化されるからです。
 理論はさらに、行動指針を提供します。事業の選択で迷った時、功利主義は原理に訴えて「幸福の総和を最大化する選択肢をとるべきだ」と言います。一方で幸福を計算する時間などない社員も同じ指針を採用すべきでしょうか。功利主義は場合によっては「会社で定められたルールに従うべきだ」と言うはずです。そのほうが原理に直接従うよりも帰結の幸福の総和を最大化するからです。
 もちろん、理論が提供する判断基準や行動指針が私たちの「倫理」と食い違うケースも生じます。理論は現実を捨象して作らざるをえません。科学の理論と同じです。その際私たちの「倫理」にとって重要な部分を捨ててしまっている可能性はあります。
 しかし、私たちの「倫理」のほうがおかしい可能性はないでしょうか。倫理学が私たちの「倫理」が正当なものかを批判・吟味するものである限り、この可能性も検討すべきです。科学と再び比べると、科学が現実の記述を目指すのに対し、倫理学は現実の変更を目指します。理想気体が現実の気体と食い違う限りそれは科学の理論の弱みですが、理想的な人物が現実の人々と食い違う限りそれは倫理学の理論の強みになりうるのです。
 2023年11月27日
 (慶應義塾大学商学部 准教授)

役員コラム「経営倫理の窓から」