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日本経営倫理学会

役員コラム「経営倫理の窓から」

コンプライアンスと委縮の間に(理事 文載皓)

 大学院生のころ、多くの先生から論文指導を受けた時点で経営倫理や企業倫理に関するイメージはそれほど肯定的ではなかったような記憶がある。特に、合理性を目指す経営学の分野において経営倫理が一つの学問分野として根を下ろしている事に対する抵抗感は非常に強かった。しかし、昨今マスコミやインターネットを飾っている用語で一日も経営倫理やCSR、SDGsなどのような隣接領域の話題が消える日はない。これらの経営倫理や企業倫理に対するイメージの変遷を考えると感無量である。さらに経営倫理や企業倫理における今後の発展の可能性も大である。
 最近、日本中どの組織においてもハラスメント防止と関連する講座は頻繁にしかも定期的に行われている。筆者の属する大学においてもハラスメント防止週間を決め、組織を挙げてキャンペーンを行う姿はしばしば散見される。このような風景は今や日本ではいわゆる流行りとなっている。しかし、講座を主催する側の意図とは異なり、受講者の都合のよい解釈と誤解が多いのも現状である。特に、それらの研修会でよく飛び交っている表現として「~はダメ」「~しなければならない」、すなわちコンプライアンスと関連する用語の多さで戸惑いを隠せない。そういった意味で、職場での活動自体が委縮しがちであろう。特に数世代の人々と一緒に現代社会を生きている人々にとっては、体に合わない服を着せられているような感覚は確かにある。
 経営倫理や企業倫理を担当している私たちのような教員の立場からも、組織倫理の重要性を強調するためにはどうしても企業不祥事などのような企業の行動様式から発生する「負」の側面には触れないといけない。セクハラ、パワハラ、アカハラ、マタハラなど実に多くのいわゆる「~してはダメ」は厳然たる事実として現実に存在しているかも知れない。昨今において教育水準の向上や告発手段の多さなど世の中の変化は、自分もいつか告発の対象になるかも知れないという何らかの不安の材料となっている。
 組織内での研修会で多く採用されている形式として、対面形式の講義は既に一般化され、グループディスカッションのようなより実践的形式を取り入れている組織も少なくない。一方で「倫理の実践は費用となる」であろうという認識も根強い。倫理を組織の中で定着させるためにはそれほどの時間と費用がかかる。最近、受けた研修では、インターネット上で行われ、内容の熟知を強制し、一定以上の点数をとらないと合格させないものまで登場している。「ただやりました」という形式だけでなく、熟知したかどうかを確かめるものとしては一定の効果は得られると思われる。そういった意味で今日は経営倫理が拡散される過渡期にあり、皆が乗り越えて到達目標にまでに至るには少しの我慢が必要な時期かも知れない。

 2024年3月22日
(常葉大学経営学部)

役員コラム「経営倫理の窓から」