米国の分断は根深い。トランプ政権で反ESGは勢いづきそうだ。ESGという言葉を避け、「サステナビリティ」等に言い換える動きもあるが、言葉狩りで問題は片付かない。反ESGは、リベラルの標榜する具体的な取り組みが「非倫理的だ」と攻撃する。例えば、DEI(多様性、公平性、包括性)の取組みが、白人男性にとって差別的で、反倫理的だという具合である。これを受けて、その取組みの撤廃を発表する企業も次々に現れている。株主第一主義や経済活動の自由を脅かすとか、捉えにくい「ステークホルダー」への配慮に対する疑念もあり、ESG(人権やガバナンス問題含む)は、物価に悪影響を及ぼし、一部のエリート層だけに甘い汁を吸わせているという。トランプの言う通り、化石燃料を掘りまくってエネルギー価格を引き下げてくれたほうが大衆は喜ぶのだろうか。
確かに、これまでの米国におけるESGの推進力は、金融市場を牛耳るビッグ3プラス12と呼ばれるグル-プだった。彼らが民主党政権やグローバルな潮流と歩調を合わせてきた。しかし、現実には、ESG開示規制を重くした結果として、企業の行動変容を促すのではなく、米国では上場会社の非公開化が進み、証券市場から退出する企業が増え、公開会社が著しく減少し、ESG投資が機能しているとは言い難い。
結局、経済政策等に失敗したとのレッテルを貼られた民主党は惨敗したが、背景には、リベラルの掲げるキレイごとが中間層からも否定された面がある。かくして、米国のESGは後退し、その余波でEUでも逆風が吹いている。辛うじて、ESG課題を戦略的なリスクマネジメントとして展開している企業も少なくないことが救いであり、欧米を見習うべき点はまだまだある。
翻って日本を見ると、会社法や証券規制等の法制度のほか、政治的環境、宗教・文化的土壌などの点からしても、米国よりは、はるかにESG投資が機能しやすくできる要因がある(詳細は、またいずれ)。特に、ソフトローを巧みに活用することが、結果として功を奏するのではないかと考えられる。日本が世界において、ESG投資の模範的なモデルを示すチャンスかもしれない。
もっとも、ESG課題に対して、戦略的にリスクマネジメントを展開できるマインドとスキルの点では、まだまだ欧米と比べて遅れており、これがクリアすべき日本の課題となる。そして、経済的に厳しい状況でも、ESG課題への上手な取り組みによって企業価値を高める実績を残せるかどうかの正念場となるのが2025年の意義となろう。(ニューヨークより)
2025年1月12日
(青山学院大学教授、NYU/USALI客員研究員)