従来、経営戦略論といえば、企業が市場における競争優位性を争う市場戦略論を意味しましたが、企業の社会的責任(CSR)論や社会における持続可能な開発目標(SDGs)が説かれる現在、経営戦略は、市場戦略のみでは充分とはいえず、企業の目的に社会的貢献を加える必要もあり、そのための戦略も必要となっています。また多国籍企業の場合、日本や欧米以外の異なる社会体制や文化圏に対応し、順応する戦略も必要となります。私は、こうした戦略を非市場戦略と名付け、今後の経営戦略論として市場戦略と非市場戦略を統合した「統合戦略」(Total Strategy)を提唱しています。
私は京セラ創業者の故稲盛和夫氏の経営哲学の研究を行って参りました。稲盛氏の経営実践は、市場戦略と非市場戦略の見事な統合であり、その統合の要として「利他」の倫理基準があることに注目し、『利他と責任-稲盛和夫経営倫理思想研究』(千倉書房、2022年)として出版し、本学会の諸先輩の温かい励ましのもと、第1回(2021年度)日本経営倫理学会の学会賞をいただきました。
その後も、稲盛経営哲学をモデルとし、アジア発の経営学理論として呈示したのが、統合戦略論であり、その根底には古代中国の陰陽二元論があります。経営においては経営者が如何なる価値判断をするかが最も重要であり、経営のプロセスを人間の価値観の変遷で捉えるフレームワークとしてTotal Value Chain(統合価値連鎖)を提案し、倫理観の違いによって人間を捉える「倫理人」モデルを提案しています。こうした私なりの理論呈示を試みたのが拙著『統合戦略論-「倫理人」モデルで論じるTotal Value Chain』(千倉書房、2024年)ですが、第5回(2025年度)日本経営倫理学会の学会賞をいただきました。
研究活動は、孤独な営みであり、研究すればするほど、自らの無知を思い知る過酷な道程です。そうした中、二度にわたる学会賞受賞によって、私は勇気づけられ、経営倫理分野の発展のため、精進せねばならないとの想いを強くしています。また学会を通じた仲間の存在は私にとって大きいものです。第33回全国研究発表大会では、「経営倫理基準としての「利他」の可能性-東洋の経営倫理思想の系譜と稲盛和夫経営哲学」と題して「統一論題シンポジウム」を開催し、京セラ様のご協力もいただきながら、本邦を代表する研究者にご登壇いただき、経営の最上流にある経営哲学の課題について論じることができ、コーディネーターを務めた私自身、今後の研究の糧となりました。
現在、企業はもはや経営倫理を抜きに経営戦略を立てることはできません。むしろ、経営倫理こそが戦略の中核に位置づけられつつあります。こうした潮流を前にして、私は経営倫理研究者として、国際的な視野を持ち、文化的な差異の存在を前提としつつ、倫理の「普遍性」と「多様性」の双方に目を向けねばならないと考えております。さらには時代的な価値観や社会構造の変化を踏まえた、いわゆる不易流行の経営倫理学の構築の必要性をあらためて強く感じています。
グローバル経済のなかで活動する多国籍企業は、単に市場における競争優位を追求するだけでは不十分です。異なる文化、宗教、社会制度の中で企業が信頼を得るには、それぞれの文脈に即した倫理的判断と行動が求められます。私はこれまで、日本の伝統文化や東洋思想など、アジアに根ざした経営哲学を手がかりに、非市場的な要素を含む「統合戦略」の理論構築を進めてきましたが、その過程で、各地域の倫理的価値観への深い理解と尊重が不可欠だと痛感しています。
国際的な視点に立てば立つほど、単一の倫理基準では世界を語れないという現実にも直面しますが、その一方で、人間の尊厳、誠実さ、公正といった価値には国を超えて通じる普遍性があることも確かです。だからこそ、研究者として私たちは、理論の厳密さとともに文化的感受性をもち、相互理解と対話を重んじる姿勢が求められるのだと思います。
また倫理を語る私たち自身の姿勢も問われています。理想的で倫理的な組織運営を研究テーマにしているからこそ、自らが属する学術的なコミュニティや社会との関わり方についても、誠実さと透明性をもって臨まねばならないと考えています。国際的な学術交流が進む中で、研究の自由を守り、多様性を尊重しながら、共通の価値に基づく協働の可能性を育てていく――それが、今の私に与えられた研究者としての責務だと感じています。
経営倫理が経営戦略の中核にあるという現状のもと、現代的課題に対して、私は国際的な視野と学際的なアプロ―チを重視しながら、倫理的想像力をもって応答し続けたい、そして、理論と現実をつなぐ橋を築きながら、経営倫理の学術的発展と実務への貢献を両立させていくことを目指して、今後も研究に取り組んでまいります。
慶應義塾大学大学院 経営管理研究科 教授
博士(公共経営)・博士(教育学)・博士(哲学)
2025年8月3日