今から50年近く前の1978年1月14日、正月気分もようやく抜けた土曜日の正午過ぎに静岡県東部を大きな揺れが襲った。伊豆大島西岸沖深さ15キロを震源とするマグニチュード7.0の直下型地震である。死者25名、負傷者211名を出した「伊豆大島近海地震」である。
筆者は駆け出しの警察担当で、当然ながら最前線の取材要員である。羽田から急行してきた取材ヘリコプターに乗せられ、伊豆東部の河津町に運ばれた。山津波で多くの人が生き埋めになっているという。手元にあるのはカメラとメモ帳、それに妻から職場の仲間が預かってきた着替え入りの小さなカバンだけである。
現地での苦労は災害取材では当たり前のことばかりだ。そうした中で、他では体験しそうもない出来事に遭遇した。
ようやく応急対策が動きだし、仕事の量も減った18日の午後3時過ぎ、宿舎にしていた温泉旅館に戻って原稿を書き始めていた時のことだ。小雪交じりの雨のなか、前の道路を多くの住民が急ぎ足で高台に向かっているのに気がついた。防災頭巾をつけた家族連れもいる。
同僚と飛び出して話を聞くと「午後6時までの間に震度6の地震が起きる」「3時間以内に起きる」と口々に不安を訴えた。とりあえず安全そうな場所に逃げてきたという。
駿河湾周辺を震源とする東海地震の危険が叫ばれ、政府は予知に全力を挙げだした時期だ。とはいえ、そもそも地震を正確に予知できるのかについては、その当時から研究者の間で意見が分かれている。しかも今度の地震は震源も伊豆半島を隔てた大島周辺である。「何かの間違いでしょう」と言いたくもなったが、そんな雰囲気ではない。
そのうちに、こちらも心配になってきた。取材を中断し、間もなく1歳という長女とともに自宅に残っている妻に「大きな揺れがあるかもしれない。注意してくれ」と電話してしまった。
何でこんなパニックが起きたのか。
この日、午後1時半に静岡県知事は記者会見で、「余震情報についての連絡」を発表している。地震予知連絡会が示した見解をもとに「最悪の場合、M(マグニチュード)6程度の余震発生もありうる」と注意を呼びかけた。
地元テレビのニュース速報などを通じて直ちに県民に伝えられたが、情報が広がるなかで「M6」は「震度6」に、さらに「午後6時に起こる」と尾ひれがついた。
被災した伊豆半島東部は、背後に広がる山地が西からの電波を遮り、もっぱら首都圏の番組しか映らない。衛星放送もない時代で、火種ともいえるニュース速報を直接目にしたわけではない。それなのに外からの電話と口コミで一気に広がり、避難騒ぎを引き起こした。
手近な通信手段は固定電話だけの頃でも、混乱発生まで1時間ほどしかかかっていない。しかも役所や報道機関への信頼度は格段に高かった。二つの大震災を体験した今の環境だったら、どうなっただろう。
みんながスマホや携帯を持ち、ラインやフェイスブックなどでつながっている。それに、折あらば歪んだ情報を流そうと手ぐすね引いている輩もいる。
家具の転倒防止はいまや常識になった。これから求められるのは、大災害の折にも信頼できる情報を選り分け、デマ情報に足元をすくわれない、心の固定器具ではないか。
2025年9月1日
(多摩大学客員教授)